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父への手紙を書いた

内省の一環として、父に手紙を書く
父への手紙を書いた
Photo by Towfiqu barbhuiya / Unsplash

明日は父の誕生日である。父の年齢がいくつになるかは知らないが、漠然と誕生日だけを覚えている。

今回手紙を書こうと思ったのは、自分が来年30歳という節目を迎えることと、いつまでも私や父が生きていることがわからないことと、ある意味で自分の気持ちが整理できてきて、前に進むために書いた。

幼少期の記憶をたどりつつ書いていた時には涙が溢れでてきてしまった。幼少期の記憶はノスタルジックな気持ちになってしまう。

ただ、少年期や青年期、そして壮年期の時はそこまで涙が出てこなかった。 というのも、記憶として親と過した楽しい記憶がないからだ。お互いに衝突を避けていたようにも感じている。

どうしても嫌な気持ちの強い記憶の方が、楽しい気持ちの記憶よりも強く印象付けて残ってしまう。幼少期の頃は、楽しい気持ちに溢れていたが、少年期以降はそれほど存在していない、その事実を突きつけられながらも、別楽しい思い出を作らなければいけないという制約も存在していない。

今のところ私は特に子供を迎える予定を考えていないが、もし自分が迎えることになったら楽しい思い出でいっぱいになるように日常の生活も努力していきたいと思うが、果たしてそんなことはできるのだろうか...。

とはいえ、今感じている感謝をありのまま伝えることは大事であると思ったので、今回手紙を書いている。色々言葉にできないつらかった時や嬉しかった時、憎い時もあったが、それはすべて「子供を迎える」という意思決定があったからに他ならないと考えると、感謝しかない。

この手紙によって関係が改善されなくても意味がないことなんてない。

どんなに小さな行動でも、それが社会生活の中で行われる限り、誰かの目に入り、誰かの行動を触発することとなり、結果的に物事が動いていく。この構造である限りはどんなに小さな行動、アクションであっても私は賞賛したい。

なにを言いたかったんだっけ...