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「自分の言葉で言い換える」が学習効果を高める

「自分の言葉で言い換える」が学習効果を高める
Photo by Zdeněk Macháček / Unsplash

ノート術(勉強術)等に興味を持ち始めると、読書ノートを取るときは「自分の言葉で言い換ええるのが大事」と言われたりする。

だが、この「自分の言葉で言い換える」というのはどういうことだろうか?

持っていた疑念

今まで「自分の言葉で言い換える」ということの意味を全くもって知らなかった。文をそのまま読み取るだけでは、「書籍などの内容を別の言い方をするのかな?」と思ってしまい、それって何の意味があるのか、むしろそのまま引用するほうが原文を失わずに便利なんじゃないか?という疑問を常に持っていて、最終的には引用するだけの活動を好むようになってしまった。

しかし、この引用するだけの活動をするようになってから小さなノートに変換する時に、ただの「作業」と化してしまい、学習する機会がどんどんと減ってきてしまった。

この事象に対して、ぼんやりとした危機感を持ち、「自分の言葉で言い換える」ということに興味を持ち、少し学習してみることに決めた。

「まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書」を読んで

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論文執筆のためのエッセンスが語られている本だが、十分ノート術に活かせるなという期待があった。以前に一度購入して(その時は電子化するために手放した)、それ以降所持していなかったが、今回再度読みたいという気持ちが強くなったため再度購入をし、PDFスキャンを行った。

この書籍では「アーギュメント」と呼ばれる主張が論文には必要だと提唱する。この「アーギュメント」は論文の核となる主張であり、論文に対しての反証可能性を生むものだと置かれている。つまり、「アーギュメント」があるからこそ、論文にて強く主張したいことであり、反論を経て、アカデミックな価値を生み出すものになる。

ところで、この書籍を読んでいる中で、私は1つのことを連想した。

「このアーギュメントに変換するプロセスは、読書ノートで”自分の言葉に言い換える”ことなのではないだろうか」

書籍の中には概念の説明や定義のようなものが散りばめられている。これをアーギュメントに変換することによって、反証可能性があるものへ変換することができる。そうなると、反証ができないものかと批判的に読書を進めることができ、より内容を理解するための足掛かりになるのではないだろうか。

他にも、このアーギュメントの形式の一部として「テーゼ」と呼ばれる形式が存在する。「テーゼ」は「AがBをVする」という他動詞の形式のことを指す。

この変換によって、受動的なものを「AがBをVする」といったAが何かをする能動的な形式へと変換することができる。これによって静的であった定義や概念の説明といったものから、能動的で動きのある文へと変換することができる。つまり、「関係を持つ」構造へと変換されたと言える。

Heptabaseへの応用

Heptabaseを読んだことがある人ならお気づきかもしれないが、この「関係」こそがHpetabaseもとい、学習する上で重要な存在になる。

私達や概念、物事は関係の中で成り立っている。光があるとき、闇がある、と良く言うが、これは「光と闇」の対比構造の中で両方が存在している。更に言えば、「太陽光は光の一部である」と言えるように、関係によって概念は拡張されて構築されていく。

この関係を見い出し、Heptabaseのホワイトボードへ写像していくこと自体が学習プロセスと言え、この「関係」が多くなったり、深くなればなるほど、その概念への理解度は高くなっていき、忘れることのない概念として蓄積されることになる。

伝えたいこととして、カードをこの「アーギュメント」に変換することで、カードは何かと何かの概念を繋げる存在になる。そこに加えて、このカードと別のカードの関連性を見い出していくことによって、概念と概念がつながり、連鎖的に概念の数珠つなぎが生まれる。

これがこのブログタイトルの主張である、『「自分の言葉で言い換える」が学習効果を高める』の意味である。

普段は画面一杯に広げ、左にホワイトボード、中間に書籍(PDF)、右側にAIChatを配置している。

おまけ:AIが知的好奇心を促進する

最近の学習プロセスとして、Claudeに「リサーチ」機能で知りたい分野のことや事象を雑に相談し、該当する学問領域の概要や書籍を教えてもらって読むことが多い。

また、学習プロセスについても各論文をリサーチしてもらい、Heptbaseを活用する上での運用方法を相談することもある。

この「ふと出てきた疑問」に24時間すぐに応えてくれるClaudeの存在は非常にありがたく、自分の知的好奇心を促進させるにはもってこいの存在である。

このAIをただの「答えをくれるツール」として見做してしまうことが非常にもったいないと思う日曜日の夕方だった。