2 min read

表面上の共感は認識齟齬を助長させる

一般化された便利な言葉を使う危うさ
表面上の共感は認識齟齬を助長させる
Photo by Pat Whelen / Unsplash

自分の中にある考え方として、こういう考え方がある。

一般化された言葉で認識を合わせたつもりになるのは危ない

コミュニティの中の言語化

一般的に言われている言語化は「そのコミュニティ」で言語化された事柄であると考えている。「そのコミュニティ」というのは学会だったり、組織だったり、チームだったりいろいろな粒度が混じりえている。

その中でも一般的に使われやすい言語化(「スクラム」とか「アジャイル」とか「PRD」とか)は特に危険だと感じている。

そのコミュニティの中で生まれた言葉をそのまま持ち込んでしまい、その結果「今いるコミュニティ」で対話が行われずに「共通認識を持ったつもり」で物事が進むと後々面倒なことになる。

みんなそれぞれのコミュニティの考え方を支持している

それぞれが過去にコミュニティで経験した内容を思い浮かべながら言語化を聞いて解釈している。ごてごてのウォーターフォール環境でやっていたアジャイルであっても、その人が考えている「アジャイル」はその経験を指す。結局のところ言語化された言語なんて、その人の持つ経験へのポインタでしかない。そのポインタが実値として何を指しているのかどうかは「対話」しない限りは分かり合えない。ここをすり合わせずに「誰かのコミュニティでの言語化」を権力なり、影響力によって通されているとフラストレーションを感じる。

自分が一番恐れる言葉

例にも上げたが「PRD」、そして「リファインメント」、更にいうと「アジャイル」に関係するもの全てが自分は言葉として恐れている。「ユーザーストーリー」なんかもそうだ。

スクラムに関してスクラムガイドに書かれているものは実値として提示しやすいし、スクラムというコミュニティの中ではこの言語化はこれが正しいよ、というのが明示的にわかりやすい。

ただそこで問題になってくるのが曖昧になっている部分だ。ユーザーストーリーもそうだし、ストーリーポイントもそう、リファインメントも単語は出ているがざっくりしか書いていない。こういう単語が出たときに「あぁあれね」と思わず、かなり警戒してポインタの先の実値を知りにいくようにしている。

実値はストーリーで知る

結局のところその人が持つ「そのコミュニティでの言語化」は一般的な単語や言語化では表現できない。そもそも言語化自体ができないかもしれない(当てはまる言葉がない)

ここを知るために「ストーリー」というその人自身の経験を語る必要がある。経験は体験を言語化するだけでいい。そこに既にある言葉を無理に当てはめる必要はない。

このストーリーを語る作業は双方の向き合い方も必要になる。片方が評価していたり、自分の解釈の中から当てはまるものを見つけようとしている限りは見つけることはできない。

その人の経験を聞き、その人の見え方に関心を寄せ、その人として疑似体験をする。その行為が必要になる。そしてこれが「対話」そのものである。

ところで…

ここまででてきた「コミュニティ」に何を思い浮かべるだろうか。

少しだけ解説を入れたが実際に「コミュニティ」と聞いて想像するものは人によって異なる。それは同じ体験をしている人はいないからである。

つまり、ここだけを聞いて「あ、あそこを指しているのね」と理解してしまっているのは「相手の話を聞いて、自分の解釈で理解している」だけであり、これは「対話」ではない。(かといって、これを何というかは知らない。経験で書いているので伝わっていると信じている)

AIによる言語化ブーム

AIの登場によって言語化が重要と(その前も言われていた気はするが)強く言われるようになった。

AIに代わりに言語化をしてもらうという思想もあると思う。でもちょっと考え直して欲しい。

それはただ耳障りの良い、あたかも、それらしい言葉をただ選択(選ばされている)しているだけではないだろうか

その言葉はうまく言語化されてはいるが、圧縮され、おそらくあなたが伝えたかったことではない。

ただ、経験を語る

上手い言語化をする必要はないと思っている。綺麗に言語化されたものは元々表現したかったものを簡素化し、「それっぽい」ものを話しているだけに過ぎない。

双方に「対話」をするというマインドセットは必要であるが、私は経験を通して時間をかけつつ、丁寧にお互いを理解していくプロセスが一番人間らしさを感じる部分だと思ってる。

資本主義

だが実際は資本主義の上にいる私たちはそんな「リソース」は無駄遣いとされる。ここに光はあるのだろうか

そんな梅酒ロックを8杯飲んだ人の駄文である。これで800kcalあるなんて太るね